いざというとき頼りになる…!恋愛の「座右の銘」保存版

本気で恋をすると、頭の中はハッピーと不安でごちゃまぜ状態。冷静な判断なんてできやしない。誰かに相談しても、最終的には自分で行く先を決めなきゃいけないし、誰も責任をとってくれやしない。

だから恋愛中、うっかり迷子になりかけたときは、これから紹介する3つの「恋愛・座右の銘」を思い出してほしい。恋愛の悩みやトラブルって、結局はみな同じようなもの。自分の状況に当てはめれば、幸せな結末を導く道筋のヒントになるかもしれません。

●男は幸せオーラの女が好き

恋愛につまづくと、悲観的になる女子は多い。「悲劇のヒロインは私よ」と言わんばかりに、被害者を気取るのだ。

例えば職場が一緒のひそかに片想いしている先輩に、彼女がいると知ったとき。「ああ、彼女いたんだ…」と嘆き悲しんでいる女がそのタイプ。自分の思い通りに事が運ばなければ、すべて不運だと受け止める。そしてその辛い運命に巻き込まれている「可哀そうな私」を演じ続けるのだ。

もちろん、狙っている相手に恋人がいたと知ったときは、誰だって落胆するだろう。しかし悲観的であるかないかの違いは、その状況に直面したとき、自分が可哀そうと思うかどうかがポイントなのである。

「今は彼女がいるけれど、結婚はしていない。将来付き合えるチャンスはゼロではないし、むしろ恋愛皆無の人生を歩むタイプではないと分かって安心した」なんてプラス思考に考えることができる人は、今後もその先輩の前でキラキラ輝く表情をし、明るく話し掛けることができるだろう。恋をしている女は、片想いをしているだけでも、妙に美しく見える。もし近い将来、先輩と彼女が別れたとき、自然と恋人候補となるチャンスが舞い込んでくるはずだ。

しかし彼女がいると分かった途端落ち込み、どんより不幸な顔をしていれば、先輩が彼女と別れフリーになったところで目にも留めてもらえない。不幸な表情だけでなく、そういうタイプは妬みの感情も抱きやすい。きっと先輩に対しても、どこかしら恨めしい顔をしてしまうだろう。

男は総じて、幸せオーラの女が好きだ。もっとも男と女に限った話ではなく、誰だってどんよりした不幸面な人よりも、はつらつとハッピーに生きている人と関わりたい。現実は変えられなくても、ものごとの受け止め方は自分次第。まして片想いの相手に恋人がいたぐらいで不幸のどん底だと嘆いていては、ますます幸せな恋愛から遠ざかっていくことを覚えておいてほしい。

●好きも嫌いも言葉なしで伝わるもの

好きな気持ちを、言葉以外で伝える方法はあるだろうか。テレパシーで意思疎通するイルカじゃないんだからそんなことあり得ない、と普通は考えるだろう。しかしヒト対ヒトでも、そうしたコミュニケーション方法が存在する、というのがこの座右の銘の心髄だ。

母と子の間には、不思議な結びつきがあると言われる。声が聞こえない離れた場所にいても、子の方になにかトラブルが起こった場合、母親は胸騒ぎがして何かを勘付くことがあるという。オムツが濡れて泣いていたという程度のことでも、なぜかわかってしまうというのだ。とくに生まれたての赤ちゃんと母親との関係だと、そう珍しくない現象だという。

また近しい人がこの世を去る瞬間に、虫の知らせでそのことを知ったという話もそう珍しくない。これらの不思議な現象が起こる原因が何なのか説明できるのは、まだまだ一般的には知られていない量子力学の分野であろう。しかし物理学者の中でもいまだに議論が分かれるというのが、摩訶不思議なのである。

しかし理由は説明できないにしろ、現実にそのような現象が起きている事実は否めない。顔も見えない、声も聞こえない距離で意思疎通できる現象が起こるのだ。言葉は交わさなくとも、もっと接近して顔を合わせた状態であれば、もう心の中がダダ洩れではないか?という仮説は、あながち間違っていない。

私たちは、人の表情から多くの情報を読み取る能力を持っている。少しでも会話を交わせば、そこから好意、悪意、多くの感情のやり取りが行われる。とくに恋愛感情は、理性でもって制御するのが難しい。自分でもコントロールできないのに、相手に気付かれないわけがない。

つまり好きな気持ちは、相手に直接「好き」と言葉で伝えなくとも、多かれ少なかれ漏れていると考えるのが自然だろう。好きな相手と接触するだけで、徐々に愛の告白は進められているということだ。そして相手にもその気があり、親子のようにあなたに対する受信機が備わっていれば、「好き信号」をもっと強く受け取ってもらえる。

それは逆に言うと、近しい人にずっと片想いしているのに、みじんも気付いてもらえない場合。その相手とは恋愛関係にふさわしくない相性である、という残酷な見方もできるかもしれない。しかし一般的に、片想い中の一番の悩みは、大方どう想いを伝えるかということだから、「好き」の自然伝達説は心強いとも言えるだろう。

●考えるより慣れろ

恋愛の悩みには、必ずしも正解がなかったりする。真面目に生きてきたタイプほどいつも正解は必ずあると信じ、そこに向かって努力してきたものだから、答えのない恋愛が苦手なこ人も多いはずだ。

あらゆる手を尽くしてやっと手に入れた、自慢の恋人。でも付き合えたはいいが、いつまでたっても距離が縮まらない。何を考えているのかまったく読めないし、自分の言葉も通じていないような気がする。

恋愛の悩みが考え抜いて正解が見つかるのなら、時間のある限り真剣に悩み抜くことをお勧めするだろう。しかし自分一人では完結しない恋愛というジャンルは、そう単純な仕組みをしていないのだ。自分があれこれ考える選択肢の数だけ、相手の手数も存在する。一方がアクションを起こした際の相手のリアクション、その組み合わせはもう無限大だ。真面目に考えるだけ無駄なのである。

「どうしてうまくいかないんだ」「どう対処すれば改善するんだ」とひとつひとつの問題について賢い頭をフル回転させたところで、まず正解にはたどり着かない。だからどうすればいいかというと、慣れるのだ。決してなるがままに無責任に、という意味ではない。恋人に対してどう接するか。そこには正解はなく、あくまでも自分にとって正しいと思う答えをアクションすることしかできない。その反応は、相手の意思によって相手にゆだねられるのだから、そっち側まで考えてもキリがない。

どう転ぶか分からない、不安定な関係。それが恋愛関係だ。恋愛関係を、揺るがない絶対的なものにしたいと思うのは、相手の気持ちを無視した厚かましい行為、奢りである。

恋愛は自分ひとりの手にはおえないもの、良くも悪くも相手と半分ずつ担ってける、という認識でゆるめに向き合うことこそが、複座うな恋愛問題をうまくやりすごす答えなのではないだろうか。